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死生観 | MeKiKi

 死生観は、育った国や環境、信仰、年齢や性別などで個々に違った考え方を持っています。

 身近な人の死や、自身が病気を経験すると死生観は変わることがありますので、持って生まれた感性とは別に、環境が与える影響が大きいと考えられます。




死生観と医療・ヘルスケア

 当サイトは医療・ヘルスケアの後方支援、主にビジネスの創生などをお手伝いする情報を提供しようと努めているサイトです。そのサイトで死生観をテーマにするのはなぜでしょうか。

 死生観は『生』も『死』も範疇とする、個人の価値観や考え方を表わすものです。

 死後については医療・ヘルスケアの範囲外ですが、死を迎える瞬間までは範囲内だと考えられます。

 どのように生きたいのか、どのように逝きたいのか、それを実現する手段は在るのか、課題や障壁は取り除かれているのか、じっくり考えることで医療・ヘルスケアビジネスともつながると考えられます。




他人の死生観を知ること

 若い人で死生観を強く持っている人は少ないと思いますが、悔いのない人生を送るために意気揚々とした魂を感じることはできるかもしれません。

 周りが病気の話をし始める50歳代あたりからは死生観について個々の考え方が強まることが多いようです。

 更に高齢の世代になると死をリアルに感じている人が多いため、死生観についてよりはっきりとした個人差が見られます。

 SNSやメディアに強いとは言えない高齢世代から死生観を聞き出すことは難しいですが、聴く機会があればぜひ傾聴すべきです。




日本ではタブー視

 日本では『死』についてタブーとする考えを持つ方も少なくありません。

 日本は無宗教の人が多い国、死後の世界について詳しく話を聞く機会も少ないです。
 昭和の時代のお葬式といえば、無宗教の人でも仏教に因んだ形で執り行われる事が多く『成仏』という言葉もよく耳にしました。
 令和の時代、コロナの影響もあって家族葬が多くなり、お坊さんも呼ばない無宗教的な葬儀が多くなっています。

 『死』について恐れるべき存在であると考える人と、死後には死後の世界が待っているので恐れるべきではないと考える人、そして何も考えない人に大別できると思います。

 昭和初期に戦争を経験した日本では、戦時中を生き延びた方々が国の復興や成長を支えてきました。
 何万人もの同世代を失った若者にとって『死』の意味は、戦後生まれとは異なる意味を持つ事も『死』をタブー視する背景にあると考えられます。




『終活』をする人が増えた

 『死』をタブー視する人が居る一方で、自ら『終活』をする人が増えたのが平成の時代でした。
 『終活』は2010年と2012年の新語・流行語大賞に2回ノミネートされています。

 その背景には核家族化の普遍化、代々継承する土地や財産を持たない世帯の増加なども垣間見られます。

 さらに大きな要因としては高齢化があります。
 年金の受給年齢引き上げは必然的に働き続ける年齢を引き上げ、高齢者人生のスタートラインを遅らせました。
 高齢者になってからも、亡くなるまでの期間は非常に長く、100歳まで生きてもさほど珍しい事ではなくなりました。

 90歳まで生きた時、自分の子は70歳近く、孫は40~50歳、ひ孫も社会人かもしれません。
 自分の世話のために家族が人生の大事な時間を費やす事を避けたいと考える高齢者が少なくないため、終活を始める人が増えたと考えられます。

【参考】新語・流行語大賞 2012年

【参考】新語・流行語大賞 2010年




人生100年時代に『家族に迷惑』

 2021年の敬老の日に際して発表された100歳以上の人口は8万6,510人でした。
 男性が1万人を超えたという話題がありましたが、すなわち、女性が圧倒的に多いということになります。

 100歳まで生きられる人が居るということだけでなく、90歳以上の人はもっと多いということを反映した数字です。

 今から100年前の1922年は大正11年、第一次世界大戦が終わったあと、真珠湾攻撃があった1941年12月まではまだ20年ほどある時代です。

 いま100歳の人は戦争をリアルに体験し、戦後の食料不足や経済成長、オイルショック、バブル崩壊も見てきた世代です。

 これから30年かけて100歳へと向かって行く団塊世代は親と同居していない人も多く、その子たちも親と同居しておらず、長く同居していない家族に『迷惑はかけたくない』という人が少なくありません。

 この『家族に迷惑をかけたくない』という事に、様々な課題が潜在していると考えられます。

【参考】読売新聞:100歳以上の高齢者、最多8万6510人…男性は初の1万人超え(2021年9月14日)




迷惑行為にフォーカス

 高齢者が『迷惑をかけたくない』と言うとき、その『迷惑』とは何か、誰に対して迷惑なのか、なぜ迷惑を掛けたくないのか、ひも解く必要があります。

 迷惑と思っていることの代表格が『世話』や『介護』です。

 食事くらいであれば負担も少ないかもしれませんが、排泄の世話となると、する側もされる側も抵抗があるようです。
 それに対応しているのが訪問介護などのサービスですが、相応にお金がかかるのも事実です。

 年金だけで生活できなければ、子供たちに資金援助をしてもらう必要があるかもしれません。
 一人っ子で両親の二人分の負担をするのと、三人で一人分を負担するのではまったく違いますので、どの程度から迷惑と思うのかは線引きが難しいです。

 個々の事象に絞らず、存在していることを迷惑と感じてしまう人も居るようです。いつ呼び出されるかわからない、介護が来るから出掛けられない、近所の目が気になって仕方がない、様々な状況があると思いますが、自身が存在しているゆえに迷惑を掛けているのではないかと思ってしまうようです。

 一般的に、常識的にということで『迷惑』を定義する事はできませんが、迷惑だと感じる人が居る限り、それは課題であることに変わりはありません。




死生観と迷惑行為

 介護が必要だから迷惑、徘徊して騒ぎになるから迷惑、お金がかかるから迷惑と考えてしまうと、死生観にも強く影響を与えます。

 『ピンピンコロリ』という言葉があるのですが、簡単に言えば死ぬときはコロッと逝き、それまではピンピンと健康に過ごしたいという願望が込められています。まさに死生観を表わした言葉です。

 老後や死期の迎え方が『迷惑を掛けない』という目標設定になってしまい『こう生きたい』という目標にならないのが問題だと考えます。

 例えば『老後は自然の中で自給自足の生活をしたい』と思い描いていても『そんな山奥では介護は受けられない』と言われてしまうと、本当に介護が必要になったときにどうしようかと考え、サービスが充実した都市部に残ることになります。




サービスの創出

 死生観をビジネスとして捉えるにあたり『こう生きたい』と『こうなりたくない』の2通りからアクセスすることができます。

 おそらく『こうなりたくない』の方が意見を寄せ集めやすいのでビジネスとしては成り立たせやすいと思いますが、競争も激しくなると思います。

 『こう生きたい』『こう逝きたい』という願望に寄り添う方がニッチになるかもしれませんが、オリジナリティが出しやすく、固定客を集めやすい可能性があります。

 既に高齢者施設が様々なサービスを展開していますが、住み慣れた自宅に居ながらにして生き甲斐のある人生を過ごせるようなサービスや、それを助けるデバイスには余地があります。




例えば、さかな釣りサークル

 例えば、魚釣りを趣味としている人を対象としたサービスの創出を考えます。

 釣り場に行かなければ釣りはできません。
 釣りをするには道具が必要です。
 釣りは天候に左右されるので計画どおりには実行できない可能性があります。

 自ら車を運転して釣りに行くときは、天気が悪ければ中止にできますし、道具や餌が足りなければ釣具屋に立ち寄れます。

 釣り場はバス停があるような場所でも無いですし、早朝は運行していないと思います。タクシーに乗って行くのは贅沢過ぎて、何度も行く事はできなくなってしまいます。

 最少催行人数4名の釣りツアーや釣具屋ツアーを企画したらいかがでしょうか。
 手足に多少の麻痺が残った脳卒中後の高齢者が釣りに行けるように、堤防で椅子に座るまでをサポートし、餌の取付けや釣った魚の取り外しなどを手伝うオプションサービスを付けたらいかがでしょうか。

 リールが巻きやすくなる治具、片手で餌を付けられる治具、多少の麻痺で社会生活を諦めそうな人にとって価値があるデバイスを企画したらいかがでしょうか。

 目標志向のサービスやデバイスなので、多少のプロセスの難題は妥協して貰うことも重要です。
 例えば釣り場でトイレ介助はできないが、帰る前にオムツ交換はできるという条件を付けて、釣りの日はオムツを装着してもらうという条件に対し、それを受け入れてでも釣りに行きたい人が居るかもしれません。帰りの車で臭うのは尊厳を傷つけるので、キレイにして帰路につくというのはせめてものサービスです。

 スタッフ1人を拘束し、車も使うサービスなので相応の対価が必要ですが、一般的な介護サービスでは対応が難しい範疇だと思います。
 釣り具も、見て買いたいものがあれば釣具屋に付き合うことだけでも対価を得られますし、既製品の餌などは仕入れて転売することもできますので、もしかすると提案先はユーザーではなく釣具屋さんになるかもしれません。




例えば、見守りサービス

 見守りサービスといえば、何かあったら駆け付けるタイプの物が多いです。

 何かあってからでは遅いので、何かが起こる前に対処できるサービスが欲しいと思います。

 自分では気づかないが、いつも同じ場所で転びそうになっている、食事量にばらつきが出ている、会話が減っている。

 人生における、長いスパンで見たときの変化に気づくサービスでは、長い時間の観察が必要になります。こうした助言サービスは、ウェアラブル端末の進化などにより増加するサービスだと考えられます。

 ウェアラブル端末やAIなどと縁がない企業であっても、見守りサービスで指摘された点を改善するデバイスやサービスの開発はできるかもしれません。

 特に在宅で過ごす介護を必要としない高齢者という枠に限って考えると、新たなモノが必要とされているかもしれません。




例えば、生活音健聴化

 聴力の衰えには補聴器が使われます。

 本格的な補聴器は何十万円もする物もあり、自分の耳にフィットした物を作ってくれます。

 補聴器を使う程ではないが、聴こえに難がある人は集音器を使って音を拡張して生活しています。
 テレビ用の物も多く発売されています。

 自宅で過ごしていて、常にイヤホンをしておくのは煩わしいし、TV用はソファやベッドなど定位置で使うため据置型のスピーカーにしているという人も少なくありません。

 自宅には様々な生活音がありますが、聞き漏らすことで生活の質を損なうことや、人間としての感性が衰えてしまうことがあるかもしれません。

 雨が降って来た音が聴こえなければ戸締りが遅れてしまいます。

 インターホンの音が聴こえなければ、来客を逃してしまいます。

 水漏れの音が聴こえなければ、水の無駄遣いになりますし、家を傷めてしまうかもしれません。

 電子レンジなどの音が聴こえなければ、調理に時間がかかってしまうかもしれません。

 人と会話をする、テレビを見るなど身構えているときに使うデバイスは多々ありますが、普通に生活していて、何気なく聞こえている音を聞き漏らさないようにするデバイスは、まだまだ発展途上だと思います。




死生観の研究が必要

 筆者はまだまだ死生観について理解が足りないと思います。

 したがって『こう生きたい』『この過ごし方をするのに困っていることがある』という話題に触れることが足りておらず、気づいていないニーズがたくさんあると思います。

 いま、高齢者施設は増加の一途ですが、2030年頃には新規開業も減り、施設に入所できない高齢者が難民化し、サービスの質の低い施設に行くか、自宅で過ごすかという選択を迫られると思います。

 高齢者施設の入所を検討する以前に、施設には行かないという選択をして、自宅を過ごしやすい環境に改装する人も増えると予想しています。

 65歳で定年、70歳で年金を貰い始めるまでに自宅をリフォームし、80歳頃から少しずつ介護サービスを受ける。70~80歳までは健常者として生活を楽しみ、80歳を過ぎても趣味や生き甲斐は続けるという人生プラン、死生観を持つ人が増えるのではないかと考えております。

 自宅で過ごすということが死生観ではなく、どのように過ごすかが重要ですので、人それぞれの考えを研究する必要があると思います。




おわりに

 死生観という言葉は、世代によってはチープに聞こえるかもしれませんが、刺さる世代には重みのある言葉だと思います。

 人生を諦めてしまう65歳とならぬよう、新たな人生のスタートになる65歳とするためには50歳くらいからプランニングが必要なのではないかと思いました。

 筆者はサラリーマンではないので定年退職はありませんが、70歳までお仕事を頂けるようにしないと年金を貰う前に破綻してしまいそうですし、受給年齢が更に引き上げられる可能性や受給額が引き下げられることも想定しておかなければなりません。

 まずは寝る場所の確保、次に何をして過ごすのかと言う目標のようなものを確保したいと思いました。