情報保障とは、均霑的に情報を得るための環境のようなものです。
法律が変わったときに国民に知らせる手段として『官報』がありますが、これは法改正を知りたければ官報を見る事で国民の誰もが知る事ができるという仕組みです。
官報を『見る』ことができれば知る事ができますが、『見る』ことができない人は知る術を与えられていないことになります。
官報を見る事ができない人とは誰なのか、それを考えると情報保障の意味が理解しやすくなると思います。
見えない
官報が紙に書かれた活字として掲示や配布される場合、その字を『見る事が出来ない』盲目や視力の弱い人にとっては、読み取ることができません。
見る事ができても、読めなければ内容を理解できません。
日本の識字率は限りなく100%に近いと思いますが、半世紀ほど前であれば日本でも小学校を卒業せずに大人になった人も居たので今よりは読み書きに苦労する人が居たと思います。
日本国の官報なので日本語で発行されていますが、日本語が読めない人にとっては官報掲載が解決策とは言えません。
見られない
インターネット官報がある現在においては海外に居てもある程度は閲覧ができるようになっています。
官報を自由に見る事ができないとすれば、どこかの極地で通信手段がないような人か、刑務所など特殊環境に居る方々かもしれません。
このような人にも法改正があったことを知る権利はあると思いますので、そうした情報に触れられないという可能性は減らしていく必要があります。
デフリンピックが象徴する
『パラリンピック』は障害者スポーツの祭典として知られますが、ここに聾者の出番はありません。
東京五輪が開催されたことで『ブラインドサッカー』がたびたび報道されましたが、視覚障害者が参加できる独自ルールのサッカー競技です。
平成28年のレポートによればわが国の視覚障害者数は312,000人、聴覚・言語障害者は341,000人であるとされ、肢体不自由者は1,931,000人と圧倒的に多いのに対し、視覚障害者と聴覚障害者の数の差は大きくないと言えます。
パラリンピックに肢体不自由者も視覚障害者も参加するが、聴覚障害者が参加しない背景には色々とあったようです。
パラリンピックには参加しないが、デフリンピックという独自の国際大会を開催しているので、独自な路線が築かれています。
デフリンピックをご覧になるとわかるのですが、ほとんどの競技が健常者のオリンピックと同じルールです。
ブラインドサッカーが音の出るボールを使い、ガード付きの特設コートで行います。
ろう者のサッカーは普通のサッカー場(フルコート)で1チーム11人行われるので、何となく普通です。よく見ると審判が持っている旗が違います。ホイッスルではなく旗が主たる合図になります。
【参考】厚生労働省:生活のしづらさなどに関する調査(全国在宅障害児・者等実態調査)
気付かれづらい障害
聴覚障害者や聾唖者らの障害について、見た目ではあまりわかりません。
皆が補聴器を使っている訳では無いので、耳を見てもわからないですし、容姿に傾向や特徴がある訳ではありません。
職場に居ても、同僚なら知る機会もありますがゲストとして来ているお客さんには気づかれないことが多いです。
先述のデフリンピックのように、健常者のルールに少しだけ手を加える事で共生できることが多いので、仕事や生活は工夫次第で健聴者の世界に溶け込みます。
講義中の情報保障
大学には聴覚障害者が在校していることがあります。
高校までは聾学校で過ごしてきても、その先の進路は個々に専門性が高まりますので各自が選んで進学することになります。
大学に入って困るのが、講義についていけないことです。
頭が良いか悪いかではなく、講師が何を言っているのかわからないため、講義に出ていても何も得ることができないためです。
大学の先生がときどき勘違いしておっしゃることが『1人のために特別対応できない』という主旨のことです。
聴覚障害者のためにスライドショーに字幕を付ける必要もないですし、マスクを外して口元を見せる必要もありません。
必要なことは、音で伝わる情報を何らかの形で聴覚障害者に伝える術を用意し、わずかでも良いのでそれに協力することです。
録音禁止
大学の講義では『録音禁止』を掲げることがよくあります。
筆者が講師だとしても、録音や録画は禁止すると思います。これは講義自体がコンテンツであり、講師の付加価値であるため禁止してしかるべきです。
ただし、聴覚障害者のテープ起こしのために録音や録画することについては、協議の余地があります。
家族が講義に立ち会う事は難しいため、録音データを文字化する作業をすることがあります。このテープ起こしのための録音に限り許可するという先生は多く居られますが、これをも禁止する先生も居なくはないです。
録画についても、カメラの位置を固定して受講者と先生の両方で録画データを共有し、仮に講義の映像が漏洩した場合に、そのカメラで撮影された物であるか検証できれば損害賠償の請求もできると思います。
ノートテイク
それなりにテクニックが必要なのですが、講義中に要約筆記をする方法があります。
講師が話していること、周囲のざわめきや笑いなどの反応を文字で伝える方法です。
聴覚障害者がたくさん居る場合にはサブスライドを出して共有することもありますが、大学の講義では1人のために、聴覚障害者の隣に座った誰かがノートやパソコン画面に文字を出します。
話すスピードと書くスピードは大差があるので『要約』が必要になります。
まず略語として先生を『セ』としたり、その日に頻出するワードを省略形で書いたりします。小さなテクニックです。
大学の講義の特徴として、板書が少なく講師が延々と語るような講義があって視覚情報では理解困難な場合があります。
反対に何年もかけて積み上げられたスライドショーを何百枚も見せて満足する講師だと、必要ない情報も数秒のスライドで供覧するので視覚情報が溢れてしまいます。
筆者も大学在籍中に酷いなと思った講義がありました。情報系の講義で何十年も前のITの話をグダグダと話したと思うと、1分間に何枚進めるのかというスピードでスライドをガチャガチャとする講義でした。
健聴者であり、情報系に強い学生であれば理解できる内容ですが、受講者の大半が理解できない速度で進めていました。
この講義をノートテイクで伝えようとすると、聴覚障害者は数秒しか表示してもらえないスライドを見ながら、横に居るノートテイカーの仕事も見て90分間を過ごすので、相当に疲弊します。
大学の講義1コマあたり1万円くらいの費用負担をして受講している学生が200人くらい居る講堂で、このような雑な講義をさえると健聴者も聴覚障害者も、誰も得をしない講義になってしまい、大学も評価を落としてしまいます。
ノートテイクの自動化
音声を文字に変換するシステムは以前からありましたが、コロナ禍でその機能が進化しました。
Zoomに代表されるようなウェブ会議システムが浸透し、その議事録作成などにも役立っています。
YouTubeをはじめ動画視聴においても多用されるようになり、海外の映画などを視聴する機会が増えました。
このシステムは大学の講義でも使えます。
スマホで講堂内の音を拾って文字化すれば若干のアナログ感はありますが文字起こしできます。
音響システムに直結したシステムを導入すれば、周囲の雑音は拾わずマイクを通して話した音だけを文字化してくれます。
ノートテイカーは必要
文字起こしが自動化されてノートテイカーの需要は減りましたが、不要になった訳ではありません。
音には文字起こしが容易でないような、言語化しづらいようなものもたくさんあります。
典型的なものとして音楽があります。
優れた歌詞とメロディの組合せというものばかりではありません。歌詞が素晴らしい場合は活字でも共感を得ますが、メロディが独特であるという場合には表現が難しいです。
任天堂のCMなどで使われるコインの音は単に『コインの音』と書かれても物理的な伝わり方しかありませんが、その背景にあるゲームやキャラクター(マリオ)が想像できる健聴者にしか伝わらない音かもしれません。
紙が破ける音、水がこぼれる音など講義中に聞こえて来た音を即時、正しく伝えるにはまだまだノートテイカーが必要です。
言い間違いの修正も必要
音声言語としてはよくある言い間違いも、活字の世界では思わぬ誤解を生む事もあります。
例えば『雰囲気』(ふんいき)を『ふいんき』と言ってしまう人がいます。
『ふいんき』がカナであればまだ理解できそうですが『不インキ』『不院樹』など感じ変換されると理解が難しくなります。
『柔らかい不インキのデザイン』と表示された場合、これはインクではない柔らかいものを使って描いた絵か何かとまったく理解できない内容になりそうです。
言い間違いではないが、妙な略語も課題ではあります。
隠れた課題としては方言があります。
筆者は広島の大学に通っていましたが『たう』『たわん』という言葉を地元の人から聞いたときに、健聴者としてまったく理解できませんでした。
『たわんけぇとって』『これでたう?』などという会話があったりします。
現在の音声認識でも『たわんけぇとって』は『タワー型とって』『たまゲートって』など意味不明の言葉として活字化されます。
このあたりをどう伝えるかはノートテイカーの腕の見せ所です。
必修だが….
ある大学の一般教養の必修科目に『オーラル・イングリッシュ』がありました。
ネイティブスピーカーによるすべてのやり取りが英語の講義です。
ここに、聾唖者が出席する意味とは何だろうかと考えさせられることがありました。
流暢な英語を耳で聴く事はなく活字でしか英語を取り込むことができず、自ら話すこともできないので活字か合成音声でしか英語を発することができない人にとっては、少なくとも発音については意味をなさないと思います。
言い回しや表現といった部分については役に立ちますが、必修科目であるがゆえにその場に居たという感じです。
同期生に帰国子女の女性が居て、講義初日に先生から出席しなくても評価10を与えますので帰って良いと言われていました。英語圏育ちでネイティブも納得の発音、彼女にとっても先生にとっても無駄な時間にならないように講義から解放されていました。
オーラル・イングリッシュの講義にノートテイカーを付けるとすれば、おそらくネイティブ英語に長けた人材になるので、大学内で探すのは容易ではないと思います。
ノートテイカーの耳で受けた英語を要約してノートに英語で書き込み、それの意味を理解して講義を進めていくということになると、その内容に意味が在るのかわからなくなります。
字幕映画は健聴者より得意
手話をしていて知り合った聾唖者から言われた事を思い出します。
彼らは映画館でスクリーンを見ながら字幕も瞬時に追ってしっかりと映像を見れると言っていました。
実際、同じ映画を見ても私たち健聴者が字幕を必死に追っていたときに『あのときの表情が良かった』『背景には××があった』などよく見ているなぁと思いました。
同じ料金を支払って同じ映画を見ても、健聴者でないと聴き取れない音がある一方で、彼らが得意とする字幕を読むスキルによって、健聴者が見落としてしまうシーンを彼らは吸収することができます。
情報保障を手助けするアイテム
今回は大学の講義における情報保障について書いてみましたが、大学は4年間で終わっても社会人生活は数十年続きます。
若い頃は聴覚障害者ではなかった人も、高齢になって耳が遠くなり聴覚障害者のようになることもあります。
聴覚の治療については医療の進歩を待つしかありませんが、現実問題として情報保障には課題が山積しています。
健聴者向けの音声認識ソフトでは対応できない部分を埋めるためのツールは待望されています。
音の出す雰囲気を伝える方法はまだありません。
破裂音や破壊音など身の危険を感じるためのツールがありません。
スマホ、インターホン、電子レンジ、冷蔵庫、洗濯機などあらゆるものが警報音を鳴らす中で、聴き分けるツールがありません。オモチャから出る電子音も聴覚障害者にとっては聴き分けることができません。
健聴者と同じ瞬間に、同じ音を聴いてリアクションをする、この普通とも言えるようなことを普通のことにするのが情報保障です。
情報保障に必要なアイテムはまだまだ不足していますので、どなたか良いアイテムを考えて社会実装して頂ければと思います。
おわりに
『聴こえ』の改善には技術や費用が関係し、尊厳や倫理も関係します。
『情報を得る』ことには更に高い尊厳や倫理が関係すると思います。
聴こえるようになるよりも先に、その場に在る情報を正しく得ることの方が生活への影響が大きいと思います。
『あの時に知っていれば』ということは健聴者にもよくあることですが、聴覚障害者は『あの時に聞こえていれば』『あの時に教えてくれていれば』と少し違った視点での感じ方になってしまいます。
すべての秘密を曝露する訳ではないので、情報保障というものに少し関心を持つと良い社会になるかな、と思いました。